ダーリンこと夫は、0歳から8歳までアメリカで過ごした帰国子女です。
今でこそ、帰国子女ってそんなに珍しくないですが、40年以上前ってまだ少なかったように思います。
日本に帰ってきて小学校に通うようになると、見た目は日本人なのに、言葉は片言、振る舞い方も周りの子と違っていたのでいろいろ大変だったようです。
いつも話を聞いていて面白いなと思うのは、日本にはちょんまげを結ったお侍さんがいるのではないかと思っていたこと(遠山の金さんや快傑ライオン丸が放送されていたそうです)や、電気はどうなっているのかと心配したそうです。(日本人はロウソクを使って生活をしていると思っていたらしい)😄
そして靴を脱ぐことや、お風呂の入り方、和式トイレの使い方などわからないことがたくさんあったのだとか。
きっと馴染めないこともあったでしょうけれど、周りに合わせようと頑張っていたのだと思います。
今はどうかわかりませんが、私が子どもの頃の日本では、協調性のない子はすぐに仲間はずれにされていましたから😢
「協調性」と言えば、先日ノーベル賞を受賞した真鍋淑郎さんが、アメリカ国籍を取得した理由について、「日本の人々は、いつもお互いのことを気にしている。調和を重んじる関係性を築くから」とか、「日本人が『はい』と言うとき、必ずしも『はい』を意味するわけではない。なぜなら、他の人を傷つけたくないから」、と言っておられました。
「協調性」とか「調和」ってとても大切なことだと思いますが、気をつけていないと自分の気持ちや考えを、きちんと伝えられない人になってしまうような気がしてしまいます。
自分なりの考えがあるのに、いつも周りを気にし過ぎて何も言えないなんて、なんだか悲しいですよね。
夫は日本の学校に通うようになって、周りと同じようにしないとうまくいかない、ということを学んでいった訳ですが、それが今でも影響していて、自分の考えを言葉で表現するのが苦手です。
相手の反応を気にするくらいなら、何も言わずに黙っている方がいいと思うらしいのです。
私の思う理想的な「調和」、「協調性」って、相手に対する気遣いを示しつつも、自分の気持ちをちゃんと伝えること、そして聞く側に回る時には、人それぞれいろいろな考え方や背景があることを理解して受け止めることなのではないかと思います。
それって簡単なことではないかもしれませんが、誰かの我慢の上に「調和」や「協調性」が生まれるのなら、なんだかとても生きづらくなるのではないでしょうか。
凹みのない「調和の円」を描いていけたら素敵なのに…
幸い、夫は家の中では自由人全開で喋り、振る舞います😄
夫のそんな様子に時々ドン引きすることがありますが、まあそれも面白くていいやと思えるのです。
生き生きとしていられるのなら何よりです✨
「私は周りと協調して生きることができない、それが日本に帰れない理由の一つです」と言った真鍋さんのその言葉が、なんだかとても胸に響いて聞こえてきたのでした。