プータとわたしと時々ダーリン

目の不自由なおじいちゃん犬プータと家族のささやかな日常を綴ります

子供のいじめと向き合う 強く生きる力を身につける

親は子供がいじめにあった時、どう対処したら良いか悩み、戸惑うものです。

 

私も息子が小学5年生の時に経験しました。

 

親バカ話に聞こえてしまうかもしれませんが、息子は1年生のとき、ケンカしている子がいると仲裁に入り、どちらの言い分にも耳を傾けることができる子だと担任の先生から褒めてもらったことがありました。

 

そんなことを聞いた私は、学校のお友達と上手くやっていける子なんだと思って、いじめのことをあまり真剣に考えることが無かったんです。

 

ところが5年生になったある日、いつもと変わらず朝食を食べ、ランドセルを背負って玄関を出ようとした瞬間、「今日学校に行きたくない」と言うのです。

 

私は突然のことだったので、どう対応したらいいのかわからなく、頭が混乱したのを覚えています。

 

とりあえず何があったのか理由を聞いたのですが、「学校で起きた問題は学校で解決しなければならない」と言って逃げずに相手と向き合うよう話たんです。

 

そして学校に行ってみて無理だと思ったらすぐに迎えに行くし、頑張ってみてもいじめがおさまらないようであるならば、相手の家に行って話をするから心配しなくていいと言って送り出しました。

 

息子が学校に行っている間、無理に行かせない方が良かったんじゃないかとか、一緒に学校に行ったほうが良かったんじゃないかとか、せめて連絡帳に事情を書いて先生に渡した方が良かったんじゃないかとか、まぁいろいろ考えました。

 

でも幸い息子が言ういじめはそんなに深刻なものではなかったらしく、あんなに心配していたというのに本人はスッキリした顔で帰って来たのです。

 

何かあれば助けてもらえる、という安心感のおかげでいざ学校に行ってみたら落ち着いていられたのかもしれません。

 

そして相手の子もそれ以上構ってこなくなったので、子供ながらに何か空気感を感じ取ったのかもしれません。

 

いずれにせよその後、親としてちょっと乱暴な対応の仕方だったのではないかと反省したのですが、あの時私が心配していたのは、いじめの内容とか相手の子のことというより、息子の心のことだったように思います。

 

理不尽ないじめには、絶対負けてはいけないと教えたかったんだと思います。

 

嫌なことをされたら嫌だと言うべきだし、弱気になったり、怯んだりする必要なんて全くありません。

 

だって悪いのはいじめっ子の方なのですから。

 

『ミステリと云う勿れ』というドラマで主人公の整くんのセリフが話題になりましたけど、いじめのことで彼が語った言葉はまさに同感でした。

 

どうしていじめられている方が逃げなければならないのか、欧米の一部ではいじめている方が病んでいると判断するらしいと言って、「病んでたり、迷惑だったり、恥ずかしくて問題があるのはいじめている方なのに。」と言っていたのです。

 

いじめられた子は何も悪いことをしていないのですから堂々としていていいのです。

 

そしていじめにあったことは恥ずかしいことではないのですから、隠さず親や周りの人に助けを求めて欲しいと思います。

 

心配するべきなのは、いじめっ子がなぜ人を傷つけることをするのか、心の問題を抱えていないかどうか、こうしたことをきちんとケアしなければいじめ問題は無くならないと思うのです。

 

人をいじめることは悪いこと、人として恥ずかしいことなんだと親や大人はしっかり教えていく責任があるのではないでしょうか。

 

もしも優しい子だからいじめられやすいんだと思うのなら、優しいからこそ強い心を育てて欲しいと思います。

 

本当に優しい人は強くなければ人を支えられません。

 

力が強いのではなく、心が強いのです。

 

新学期が始まって少し環境に慣れてきたこの時期、うちの子がそうであったように、お友達との間で問題を抱えやすい頃かと思います。

 

子供の成長を見守る親の皆さんは何かと心配かと思いますが、子供の育つ力を信じていつでも助けになるという安心感を持たせてあげてください!

 

親の愛や助け、安心感を子供が実感するなら、問題を解決する力を身につけ、きっと強い子に育ってくれると私は思っています。