プータとわたしと時々ダーリン

目の不自由なおじいちゃん犬プータと家族のささやかな日常を綴ります

「時薬」だけでは癒やされない

 

時間が過ぎるのは早いものです。

 

4月23日、プータさんが亡くなって一年になりました。

 

この一年、どんな風に過ごしていたのだろうと振り返ってみると、いろいろな所に出掛けて、介護期にはなかなか出来なかったことをしていたと思うのだけれど、どれもこれも気持ちがついてこれないまま、とにかく自分のお尻を叩いて何かしていようと動いていたような気がします。

 

動きを止めてしまうと、悲しい感情にやられてしまうと思っていたんだと思います。

 

このブログももう閉じようかなと度々思うのだけれど(役に立ちそうな犬情報が書けない)、気持ちを文字にするとことで、ごちゃごちゃした気持ちが整う薬になっているような気がします。

 

「文字薬」なんて言葉はないと思いますが、自分のことを客観的に見るのに役立っているんだと思います。

 

そういう意味での薬と言えば、「時薬」と言われるものがあります。

 

「時薬」は悲しみや、どうにもならないような難しい問題も、時間が経つことによって癒やされ、解決していってくれるというものですが、この薬は即効性がないので、薬が効くことを信じて待たなければなりません。

 

この一年、「時薬」はどれほど効果を発揮してくれたのだろうか?

 

もしも「時薬」を処方してくれた先生がいるならば、

 

私、「先生、私にはこの薬、あまり効かないみたいです。」

 

先生、「そうですか。もう少し長い期間服用していく必要があるかもしれないですね。まぁ気長に治していきましょう。」

 

なんて言われてしまうのかもしれません。

 

自分の心を癒してくれる薬は、自分で探し続けていくことが大事なのかなと最近感じています。

 

ペットロスからなかなか立ち直れない人に、新しい子をお迎えすることを勧められることがあります。

 

それも一つの良い方法なのかなと思っているんですが、私の場合、自分の年齢を考えると子犬を迎えることにはかなり不安があります。(あと10歳若ければ🥲)

 

プータさんのシニア期(4年間)のお世話ができたのは、まだ気力も体力もあったからで、この先70代を迎える頃の私には、プータさんの時と同じようなお世話をすることは不可能かと思ってしまうのです。(下手すると、私の方が先に逝っているかもしれません)

 

そんな私に、自分の年齢や飼育の経験を活かして、あえて8歳以上の保護犬をお迎えしてみる(長くても10年ほどのお世話になる)のはどうだろうかとアドバイスしてくれた方がいました。

 

いつも心が揺らぐけれど、お別れする時のことを想像するとやっぱり無理だと何度も挫折します。

 

勝手な願いではあるけれど、やっぱりプータさんに会いたい、きっとまたいつかね、と思っていたい。

 

こんな私は相当な我儘で頑固者なんだと思います。

 

「時薬」、「人薬」(周りの人の支えによる薬)を取り入れながら、自分で勝手につくった「文字薬」、「旅薬」、「食薬」、まだまだ効果がありそうな薬を、自分のために探し続けていくしかなさそうです。

 

人は歳を重ねるごとに辛い経験もしていかなければならないけれど、こうやって自分を癒すための薬をたくさん知るようになるのかもしれません。

 

 

プータさんが亡くなった時にいただいた花束の中に入っていたセンテッドゼラニウム
根が出でこの一年でこんなに大きく育ちました。見ていると生命力を感じて嬉しくなります。