ここ最近、プータさんは、てんかんのような症状が出始めています。
今行っている病院では、CTやMRIを使った検査ができないので、はっきりしたことがわからないのですが、痙攣のような発作が短い時間ではありますが出てきました。
年齢も16歳ということもあって、もし脳に異常が見つかったとしても手術をしての治療はさすがにもう無理だと思います。
そう考えるとこの先何かあったとしても、ただ受け入れていくしかありません。
その日が来ることを考えただけでも、悲しくて、さみしくて、気持ちが混乱してきてしまいます😔
老犬と暮らしていると、やらなければならないお世話が多いので、1日がとても早く過ぎていくように感じます。
1日の終わりにプータさんを寝かしつけていると、
「今日もあっという間に終わってしまったなあ」
「一緒にいられる日が一日減ってしまった」
とつぶやいているんです。
そんな風に考えれば悲しくなるのは当たり前。
さみしくなってきてしまいます。
1日の終わりに、決まってこんな考え方をしている自分がたまらなくつらくて、何とか気持ちを切り替えなければと思ったんです。
そうしたら、私は「引き算の考え方」をしていることに気がついたんです。
いつになるかわからない日を勝手に設定していて、そこから今日1日を引いてしまっているんです。
そんな風に考えればそりゃ、減ってしまったことばかりに気が取られて悲しくなるに決まっています。
よく「余命宣告」されることが良いことなのかどうか、考えさせられることがありますが、命の日数をどう数えるか、これって難しいですよね。
どっちがいいのかは人それぞれなのかもしれませんが、「余命宣告」って考えてみれば「引き算の考え方」なのかなと思ったんです。
人間の場合は、残された家族のことを思って、身辺整理をするって意味では、意味あることなのかもしれませんが、過去も未来も、そういうことにとらわれずに今を生きている犬にとっては、「余命宣告」の考え方は無用なんだと思います。
あくまでもそれは飼い主の側な問題なんですよね。
そう考えたら、引き算ではなく「足し算の考え方」をしようと思ったんです。
1日減ってしまったのではなく、「今日も1日一緒に過ごせた」っていう足し算です。
この先、何日まで足していけるかはわからないけれど、少なくとも1日分は増えたのです。
「一緒にいられてよかったね」って、そうつぶやいて1日を終えることができたなら、少しはさみしさも和らぐのかなと…
「さみしくなった時は足し算の考え方」、頑張ってみようと思います。
ときどき上手くいかない時もあるかもしれないけれど、せっかく今日も一緒にいられたのだから、その日を大事にしていきたいです。
「プータさん、今日も大好きだよ✨」